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虫おくり(むしおくり)

 

田植えを終えた時期に五穀豊穣と無病息災を祈願する「虫おくり」。木彫りの竜の頭に、稲わらの胴体で作られた「虫」を若者が担いで、囃子とともに村中を練り歩き、村はずれの一番高い木の枝に「虫」をかけ祈願します。

津軽一円で行われていた民俗ですが、現在では、当市近郊の農村地域にその名残をとどめるに過ぎません。津軽地方では、山﨑林朴の「永禄日記」、菅江真澄の「遊覧記」や「外濱奇勝」などに藩政時代に虫おくりがさかんに行われていたことの記述があります。また、昔の五所川原では、町村史などを調べると、「田畑仕入日記手間永福帳」(平山家文書)には、「天保4年(1833年)7月28日、姥萢真黒(現・大字稲実のこと)辺り虫気これ有り候哉、半分通出穂これ無く、右に付き今日当村(湊のこと)虫送り、・・・・・」とあります。「五所川原町史」では「虫送祭、昔は大名行列様のものであった、廃れて段々形式に流れ・・・・・」とあります。その他「飯詰村郷土史」、「飯詰村史」、「梅沢村史」、「六郷村史」などにも名称も“虫送り”あるいは“虫送り祭り”とあり、いずれも盛大に「虫おくり」が行われていたことが書かれています。

 

何体もの虫が合同で運行される、五所川原地区の「奥津軽虫と火まつり」は、昭和39年に津軽華子さまがご成婚報告のため、種里八幡宮をお参りされ、次いで当市を訪問された際に慶祝の意を込めてご覧に入れたのが始まりです。

虫おくりの起源は
昔は、農業に害を与えるものの中で、特に「風」と「日照り」と「害虫」が恐ろしいものとされていました。この中で害虫だけは、駆虫効果のありそうな植物を焼いて、その煙で幼虫を追い出そうとしました。それが形式化し、信仰的な行事として定着し、神社の前で火をつけ、田んぼの中を周り歩き、海とか川へ捨てに行くようになりました。この行事が虫おくりといわれています。(「まつりと日本人」樋口清之)

神話によれば
今から2000年以上前、大国主命(おおくにぬしのみこと)が田植えをした際、隣近所の人がたくさん手伝いに来てくれたおかげで田植えを早く終えることができたため、お礼として家畜をつぶし、様々なごちそうをふるまったところ、それを知った大歳神(おおとしのかみ・穀物の守護神)が、「農業に大切な家畜をつぶして食うとは何事だ」と怒り、神通力をもって一晩のうちにすべての田に虫をつけてしまいました。大歳神の怒りに触れた命は、恐縮し、ひたすら謝罪することで許されて、虫除けのお札をもらい、これを立てて虫を退散させました(虫おくりの起源)。また、大歳神のおかげで食べられることのなくなった牛や馬は大いに喜んで踊り(荒馬踊りの起源)、安心してよく働くようになりました。~と伝えられています。

○県無形民俗文化財「相内の虫送り

 

「虫」

虫の写真

 

昭和40年ころの虫おくり

昭和40年頃の虫送りの写真

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