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伊勢海利助追慕碑(いせのうみりすけついぼひ)

見学 期間 料金
通年

 

伊勢海利助〔本名川浪基。鶴ヶ岡出身。最高位は大関。生没は天明3年~文政13年(1783年~1830年)〕は柏戸と称し、江戸相撲の大関となり、引退後は伊勢海と改め年寄りとなりました。その名を全国にはせ、鳥井崎与助〔本名高橋伝吉。藻川出身。最高位は前頭6枚目。生没は寛政2年~文政13年(1790年~1832年)〕・麓川藤八(詳細は不明)ら門下数十名の後進を導きました。
地元では、天保10年、同13年、弘化2年、同3年、嘉永元年、安政2年、同4年、同6年、文久元年にそれぞれ追悼相撲興業が催されました。
この碑は乾橋付近、国道に沿った一地にありましたが、現地に移されました(「五所川原町誌」による)。
市内の江戸時代の記念碑は数が少なく、本碑はその中のひとつで、頌徳碑(顕彰碑)の中では「毛内翁土功之碑」に次いで古いものです。

 

伊勢海利助追慕碑

伊勢海利助追慕之碑の写真

 

所在地

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