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飯詰稲荷神社裸参り

 約350年前の江戸時代から引き継がれてきたとされる「裸参り」行事は当初、飯詰の新田開発に取り組んだ稲荷神社の氏子達によって、村の発展を願い、酒や魚、五穀などの供物を稲荷神社に奉納したことに始まる。

年の暮れ、12月31日の午後1時、まわしに白足袋、裸に鉢巻姿の若者達が宿(出発点)に勢揃いし、用意された水樽に入って身を浄めたのち、裸参りの行列が出発する。隊列は先頭が、揃いの半纏に鼻白化粧の女性達、続いて大きな注連縄、三俵、じゃばら、鏡餅等を担ぐ裸に鉢巻姿の若者達、最後に五色の幟(のぼり)を運ぶ若者達が続き、囃し方が最後尾となる。裸衆の男性が17名前後、半纏に鼻白化粧した女性6名前後、奉納物(三俵・注連縄・じゃばら等)、五色の幟(のぼり)を担ぐ男女8名前後、笛・太鼓・鉦の拍子方8名前後で構成される。その他、準備作業として奉納物の作成に延べ130人程度が参加する。

宿のある飯詰字石田地区から飯詰稲荷神社のある飯詰字狐野地区まで約600mを運行する。その行列は、笛や太鼓の登山囃しの拍子に合わせ「サイギ、サイギ、ドッコンサイギ、稲荷サマサ、ハチダイ、コンゴウドウサイ」と唱えながら稲荷神社に参詣する。宿から稲荷神社までの沿道には、裸に鉢巻姿の若者達へ、景気づけの水を浴びせようと、住民が各門口に水を準備し、目の前を通り過ぎる際に水をかけるなど無病息災と五穀豊穣を祈願する伝統行事となっている。

 飯詰稲荷神社は宇賀魂神(うかのみたまのかみ)を祭神として、宝暦12年(1762)に勧請したとされるが、貞享元年(1684)の『天和の絵図』に「稲荷宮地」と記されていることから、勧請年はもっと遡るとみられる。また、稲荷神社が所在する一帯(通称「南館」)は、飯詰村の漆新田と称して、明暦元年(1655)取立と藩へ報告しているから、その頃の勧請と考えられる。

 『飯詰稲荷宮由来』によれば、「高楯城南丸の西の方に祀られる正一位稲荷大明神は、高楯城の城神であり、正平6年(1351)藤原藤房公が伊勢神宮の外宮豊受大明神宮司藤原総宮大夫山城守より守尊符に持参した御神体である」と伝えられている。

飯詰稲荷神社鳥居前

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