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十三の砂山踊り(とさのすなやまおどり)

中世安藤氏の時代に繁栄した十三湊は、江戸時代に入ると弘前藩の四浦の一つとして、米などの移出が行われ、西廻りの弁財船が出入りしていました。
唄はこの時代に日本海文化の影響を受けて形成されたと考えられています。
歌詞の一番にある“ 十三の砂山米ならよかろ~ ” の句は、江戸時代後期の寛政8年(1796年)、この地を訪れた菅江真澄が『外ヶ浜奇勝』に書き記しています。

十三の砂山節は上の句と下の句に分かれており、下の句を二度繰り返して唄うのが特徴で、上の句を音頭といって優雅な節回しで、女性美のような旋律に対して、下音頭は荒削りで勇壮な男性的な調子で音頭の後を追いかけるようにして唄い、音頭と下音頭それぞれの特徴を発揮することによって、独特の雰囲気を醸し出しています。

現在、踊り手は笠、揃いの浴衣、黒の帯、白足袋、草履の支度で、手に抱え持つ小太鼓に合わせて、テンポ遅く順周りに踊る。毎年、8月14日~16日の3日間に十三の砂山祭り実行委員会が主催し、祭りが開催されています。
また、日本フォークダンス連盟から、ふるさとの民舞で唄と踊りが紹介され、全国の民謡として有名になっています。

 

歌 詞

十三のー砂ア山ナアアアヤーイ 米イなアらアよオかアろオナア
西の弁財衆ウウにアーエ たーだーつーましよ
弁財衆にアナアアアヤーイ 弁財衆にア西のナア
西の弁財衆ウウにアーイ たーだアつーまーしよ ただつーまーしよ

(繰返して唄うのが特色)

一、十三の砂山米ならよかろ 西の弁財衆にただ積ましよ
弁財衆に西のな 西の弁財衆にただ積ましよ
二、つつじ椿は山でこそ咲くが 今は十三船のともに咲く
十三船の今はな 今は十三船のいともに咲く
三、笠を忘れた敦賀屋の宿さ 西が曇れば思い出す
曇れば西がな 西が曇れば思い出す

以下省略

 

十三の砂山踊り

十三の砂山踊り

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