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金木さなぶり荒馬踊(かなぎさなぶりあらうまおどり)

金木の荒馬には次のようないい伝えがあります。
 

金木地方の水田の開発が進められ、農村の虫祭りもにぎやかになり次第に行事化していました。その頃、貞享年間(1684年~1687年)、4代藩主信政公が民情視察の途次、金木村を訪れ、八幡宮に五穀豊穣と武運長久の祈願をされました。突然のことでしたが、神主笹木氏、庄屋角田氏とがはからい、村人をあげて迎え、帰りには礼をつくして村端まで見送りました。
当時の赤坂(現、若松町)の橋は、丸木橋でいたって粗雑でしたが、藩主は馬上豊に馬の手綱をとり、供奴二人が左右に手綱をのばして、一回、二回と後ろに下がり、右ひき、左に廻り、三回目に英姿さっそうとして橋をわたりました。
 

はじめて見た藩主の英姿に感激した村人たちは村の誉れとして永久に残すべく、“虫送り”の荒馬踊に取り入れるようになったといわれています。

 

金木さなぶり荒馬踊

写真:金木さなぶり荒馬踊

 

・平成27年金木町虫送りで披露された様子

金木さなぶり荒馬踊り

 

金木さなぶり荒馬踊り

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