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御郡中惣絵図(おんぐんちゅうそうえず)

 国絵図とは、江戸幕府が全国の諸大名に作成させた国ごとの地図を指します。国絵図には、山や川、湖、沼、港湾、道路など多くの地理情報が記されています。また、当時の村の名称、数、石高も記されています。
 弘前藩は津軽領の国絵図を正保(1644-1648)・元禄(1688-1704)・天保(1831-1845)の3度作成しており、それぞれ正保=「陸奥国津軽郡之絵図写」(青森県立郷土館所蔵)、元禄=「津軽領元禄国絵図写」(弘前大学付属図書館所蔵)、天保=「天保陸奥国津軽領絵図」(国立公文書館所蔵)が現存しています。
 当市所蔵の国絵図は、作成が宝暦五(1755)年であり、記載内容を調査した結果、元禄図に記載された内容を元に作成された可能性があることがわかりました。加えて、幕府への提出用ではなく、国元で使用するために作成されたと考えられます。

 この御郡中惣絵図の大きさは、縦349㎝、横427㎝で厚手の和紙で作られています。

 

 下方に掲載した画像の右上には、

 

   陸奥国津軽郡分野之図
   津軽郡一円貢税凡二十九万六千六百九十九石九斗三升
   郷村都而八百二十五村
   内
   貢九千七百二十二石九斗三升 黒石分地 村二十九村
   宝暦五乙亥天三月

 

と記載されています。

 村の位置を表わす村形(むらがた)は、各庄ごとに色分けされています。(平賀庄=黄色、鼻和庄=青、田舎庄=桃色)

 弘前藩の御国日記と照合した結果、絵師の今村正元と今村栄里が地図を描いたことがわかりました。所々に「潰れ」の付箋が貼ってあり、元禄図を元に作成したため、その後情報が更新され廃村などになった村を表わしていると考えられます。

 津軽藩が江戸幕府への提出用として3度作成した国絵図のうち、元禄~天保年間の間に国絵図が作成されていたことは新たな発見です。宝暦年間(1751-1764)における同様の大型絵図は見つかっていないため、史料的価値も高いといえます。

 

 

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御郡中惣絵図(宝暦5年)

 

 

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御郡中惣絵図 拡大図 五所川原市市街地周辺(画面中央やや左下に「五所川原村」、その右下に「湊村」が確認できる。)

問い合わせ先

担当 社会教育課文化係

電話 0173-35-2111

内線2954

FAX  0173-23-4095

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