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千立山願昌寺念仏供養塔(ちりゅうざんがんしょうじねんぶつくようとう)

 嘉永2年(1849) 3月6日、毛内宇兵衛の妻・いさによって建立された南有無阿弥陀仏の石碑、念仏供養塔です。元々は岩木川の近くに建てられていたようですが、大正時代の岩木川改修工事のため、願昌寺に移転しました。
 碑文に刻まれた「南無阿弥陀仏」の文字は、徳本(とくほん)という人物の揮毫によるものです。
 徳本とは、徳本上人、あるいは徳本行者とも呼ばれています。徳本上人は、寛政6年(1794) 頃から日本各地を巡り、人々を救うため「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、仏の教えを広めたといわれています。生涯を民衆の中に生きた念仏行者(浄土宗)として知られる人物である。徳本上人の文字は、丸みを帯び、終筆が跳ね上がるため非常に縁起が良いとされ、「徳本文字」と呼ばれています。
 徳本上人の念仏供養塔(名号碑)は、巡教された土地に多く建てられています。その数は和歌山県内におよそ170基、信濃(長野県)に200基、武蔵(東京都・埼玉県) 50基、越中(富山県)30基が確認されています。そのほか常陸(茨城県)、下総(千葉県・東京都)、相模(神奈川県)など広く日本各地に分布します。また、信者は近畿、東海、北陸、信州、関東地方にも及び現在も「徳本講」として引き継がれ、その信仰は今も庶民の間で生き続けています。
 当地域では、このような徳本上人の念仏供養塔は非常に珍しく、当地域の信仰を知る上で大変貴重なものであり、市指定に値するものです。また、文化財保護審議会が実施した県内の悉皆調査の結果、市内2基が本州最北であることが判明しました。

 

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千立山願昌寺念仏供養塔

 

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念仏供養塔の徳本文字(南無阿弥陀仏)拡大

問い合わせ先

担当 社会教育課文化係

電話 0173-35-2111

内線2954

FAX  0173-23-4095

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