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相内の坊様踊り

中世十三湊が栄えていた頃、十三湖周辺には数多くの神社仏閣が建てられていたと伝えられています。一帯には津軽三千坊の一つ、十三千坊があったといい、その一角にある山王坊(現在の日吉神社)では、その昔、お坊様や村人たちが境内に集まって唄い踊っていたのが、今日の坊様踊りの起源であり、また盆踊りとして踊り継がれてきたものとされています。

坊様踊り(ナオハイ節)は音頭揚げと下音頭とりに分かれており、音頭揚げは声自慢の人が唄い、続いて踊り手は下音頭を唄うという仕組みになっています。
昔は太鼓や鐘を伴奏楽器としていましたが、現在、楽器は使用されていません。
歌詞は主としてお寺や和尚様、仏にちなんだ文句が多く、先祖を供養する念仏唄のようです。現在はお盆やその他の行事等で踊っています。

着衣は浴衣などのふつうの服装で踊り、笠をかぶり、紙飾りをつけ変装することもあります。50年ほど前は道路を使用し、市浦消防団相内屯所から旧営林署まで大きな輪ができ、老若男女問わず、村中挙げて踊っていました。
平成13年には日本フォークダンス連盟から、ふるさとの民舞として唄と踊りが全国に紹介されています。
 

 

相内の坊様踊り

相内の坊様踊り画像1

 

相内の坊様踊り画像2

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