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2015(平成27年)

第12回特別企画「新・古美術展」-山田春雄氏コレクションから- 平成27年7月5日(日)ー9月27日(日)

 

今回の企画展は当市出身で東京在住の美術史家、山田春雄氏のご厚意で同氏のコレクションの中から書画・彫刻・陶磁器・金工などの美術品をはじめ、皇室ゆかりのボンボニエールなど、雅で煌びやかな風格漂う逸品を揃えた特別企画展です。ほかには、江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室であった皇女和宮の化粧道具や、珍しい御紋章附の蒔絵扇子なども展示。そのほか、バーナード・リーチや北大路魯山人の陶磁器、高村光雲の彫刻、昭和期に挿絵画家として活躍した岩田専太郎の美人画など数多くの美術品を展示いたします。

 

 

会期 平成27年7月5日(日)ー9月27日(日)
会場

立佞武多の館 2階 美術展示ギャラリー

立佞武多の館ホームページ

開館時間 午前9時~午後5時(入館時間は午後4時30分まで)
観覧料 大人・大学生 300円(団体料金20名様以上270円) 高校生以下 無料
主催 五所川原市、五所川原市教育委員会
共催 五所川原市観光協会
協賛 株式会社宝古堂美術
後援

青森県、青森県教育委員会、五所川原商工会議所、五所川原青年会議所、東奥日報社、陸奥新報社、朝日新聞青森総局、読売新聞青森支局、毎日新聞青森支局、産經新聞社青森総局、河北新報社、デーリー東北新聞社、青森放送、青森テレビ、青森朝日放送、NHK青森放送局

 

 

作品紹介


【北大路魯山人作/信楽土花生】高さ31.0cm、幅27.0cm

 

北大路魯山人(1883-1959)

京都府京都市に生まれる。本名、房次郎。はじめ書家、篆刻家として名をなし、食客として長浜、京都、金沢などに逗留。鎌倉の星岡窯で食器制作をはじめ、志野、備前、織部などの技法をいかした豪放な作風で知られた。その後同郷の友中村竹四郎と会員制の高級料亭「星岡茶寮」を開設、顧問兼料理長として天下に美食家の名をはせる。晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。1955年 織部焼重要無形文化財保持者(人間国宝)辞退。

【辞書・年鑑等からの抜粋】


14代将軍徳川家茂正室皇女和宮の化粧道具

 

和宮 親子内親王(1846年7月3日- 1877年9月2日)

仁孝天皇の第八皇女。孝明天皇の異母妹。明治天皇は甥にあたる。江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室。小説やドラマ等でもよく題材とされる皇女である。嘉永4年(1851年)7月12日、孝明天皇の命により有栖川宮熾仁親王と婚約するが、万延元年(1860年)10月18日孝明天皇は和宮の降嫁を勅許し、文久2年(1862年)2月11日、和宮と家茂の婚礼が行われた。徳川家茂は側室を置かず和宮を生涯の伴侶とし、夫婦仲は良好であったとされている。家茂が長州征伐のために上洛の際、凱旋の土産は何がよいかと問われた和宮は、西陣織を所望したという。しかし家茂は征長の最中に大坂城にて病没、西陣織は形見として和宮の元に届けられた。和宮は「空蝉の 唐織り衣 なにかせん 綾も錦も 君ありてこそ(現世のきらびやかな織物が何になるというの 綾も錦もお見せするあなたがいてこそ価値があるのに)」の和歌を添えて悲しみに暮れたという。


【慈母観音 高村光雲作】高さ37.5cm、幅17.0cm

 

高村 光雲(1852 - 1934)

日本の仏師、彫刻家。幼名は光蔵。高村光太郎、高村豊周は息子。高村光太郎は乙女の像(青森県十和田湖畔)の作者でもある。江戸下谷(現・台東区)に町人・兼吉の子として生まれる。1863年(文久3年)から仏師の高村東雲の元に徒弟となる。後に東雲の姉・エツの養子となり、高村姓となる。1889年(明治22年)から東京美術学校に勤務、翌年に彫刻科教授、同年10月2日、帝室技芸員に任ぜられる。1893年(明治26年)には『老猿』(国重要文化財)をシカゴ万博に出品。1900年(明治33年)には『山霊訶護』をパリ万博に出品。1926年(大正15年)に東京美術学校を退職し、名誉教授。光雲の弟子には山崎朝雲、山本瑞雲、米原雲海、関野聖雲など近代日本彫刻を代表する彫刻家がいた。また、西郷隆盛像(上野恩賜公園)の作者でもある。


 

 

企画展「五所川原市の多彩な美術品展」  平成27年10月2日(金)-平成28年1月31日(日)

 

寄贈品、寄託品を含め五所川原市が所蔵している絵画や版画、武具、民俗工芸品、市内遺跡出土品などジャンルにこだわらず様々な所蔵品をご紹介します。当市所蔵の弘前藩第12代藩主津軽承昭公所用の鎧兜をはじめ工芸品として現存するものが少なく、たいへん貴重とされる金木地区の三縞こぎん。そして昭和63年に制作された手塚治虫、赤塚不二夫、やなせたかしなど日本を代表する漫画家30人の絵を一枚の屏風にまとめた「三十漫扇屏風」も公開致します。他には五所川原市出身の洋画家伊藤正規を始め、棟方志功、工藤哲巳、関野準一郎、野澤如洋など青森県ゆかりの作家作品や、浮世絵師歌川広重、月岡芳年の浮世絵版画、刀剣の押し型掛軸、さらに市内遺跡より発掘された縄文時代晩期の遺物、県伝統工芸品指定の津軽組ひもなど五所川原市ならではの所蔵品もご紹介致します。

 

会期 平成27年10月2日(金)-平成28年1月31日(日)
会場

立佞武多の館 2階 美術展示ギャラリー

立佞武多の館ホームページ

開館時間 午前9時~午後5時(入館時間は午後4時30分まで)
観覧料 大人・大学生 300円(団体料金20名様以上270円) 高校生以下 無料
主催 五所川原市、五所川原市教育委員会
共催 五所川原市観光協会

 

作品紹介


 弘前藩第12代藩主津軽承昭所用鎧兜

 

津軽承昭(つがる つぐあきら 1849-1916)

この鎧は弘前藩(津軽藩)第12代藩主承昭公所用のもので兜などに津軽家の家紋があしらわれている。

弘前藩では明治2年6月に藩籍奉還が行われ、維新の変革期を乗り切った藩主津軽承昭は藩知事となる。明治4年7月の廃藩置県に伴い、藩知事を罷免され東京に住むこととなった。承昭は、のちに第十五銀行取締役を務める。また、明治政府の藩籍奉還に伴う上層公家、大名を華族とする封建的身分制度の改変により津軽承昭は伯爵となっている。


歌川広重

「六十余州名所図会(長嵜 稲佐山)」

 

歌川広重(1797-1858)

14歳で歌川豊広に入門し、翌年広重の画名を与えられ、号を一遊斎・一幽斎・一立斎・立斎と変えて用いた。狩野派・南画・円山四条派も学ぶ。天保3年(1832)幕府公用の京都への旅に参加し、はじめて東海道を歩いた印象と写生を基に「東海道五十三次」で風景版画家の地位を確立、客観的な作画態度と私情豊かな作風が人々の人気を集め、芸術的にも優れたものである。そして「京都名所」・「近江八景」・「木曾街道六十九次」など名所絵の傑作や、多くの花鳥版画・肉筆画の秀作を残した。


三縞こぎん

 

肩から下に太い3本の縞が刺されている。肩から荷物を背負うときの補強をかねている。西津軽郡木造町、北津軽郡金木町の辺りで伝承されており、3本の線が特徴的なので三縞こぎんと呼ばれた。現存する三縞こぎん刺しは非常に少なく貴重なものである。


問い合わせ先

担当 文化スポーツ課文化振興係

電話 0173-35-2111

内線3323

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